「国法を重んじ候国柄にて、大統領といえども聊かも国法に違い候も相成りがたき規定に付き、政事一定いたし、人々法令を重んじ、国内よく治まり候」。アメリカに9年間滞在した漂流民、中浜万次郎がもたらしたアメリカの政治体制に関する情報は、多くの日本人に影響を与えた(「共和政治録」より)。

陸奥国亘理郡の古切支丹、転切支丹の類族者6名の死亡届、2名の転居届を記載する「切支丹類族帳」。キリシタンに対する幕府の警戒と追及は、キリシタンの子々孫々にまで及んだ(「陸奥国亘理郡切支丹類族帳」より)。

「実に以て鴨の初物には仰天つかまつり候…尚々俗政に携わり候人は自然薄情に相成り候かな、慨嘆の至りに御座候」。庄内戊辰戦争下に、戦闘の最前線で交わされた新政府軍の通信文書を貼り交ぜた書巻の冒頭には、何やら上層部への批判めいた文言が躍る(「北征文書」より)。

「廣東船よりザウ二ひき持渡候、新地に召置ク女ザウは死ぬ、其後男ザウは唐人屋敷に入り、小川町者ザウ使いとして町々引廻り、翌年江戸え登らる」。享保13年のゾウの長崎舶載の記録。食べ物が合わなかったのか雌のゾウはすぐに死んでしまった(「長崎由来記」より)。

「吾藩友某いわくオランダの医方を学び得て解体新書という書をあらはせり、そは解体してかのオランダにいへる処と合わせみるにいささかもたがうところなく…漢人のいへる説と合せみるに半ばたがへり」。国学の師である本居大平に宛てた書簡の中で、伴信友は「解体新書」を援用して東洋医学を批判した(「夜舟ものがたり」より)。

「此の度さきに供へたる海軍大勢なること尋常ならず、且つ我の水師将士の名誉提督『ペルリ』、東印度備え一手の海軍将の任に当り、是必ず趣意あり、或る人説にこの舩装、闘いの萌しあると也」。1850年、ニューヨークの法律家パルマーがオランダ商館長レヴィソンに送った書簡は、ペリー来航後の1854年に翻訳され、日本人の知る所となった(「レキソンヤッパン」より)。

「石清水八幡宮参詣、大学頭、神酒をいただき候ところ、味まったく酢に変じ候由、風聞いたし候」。安政5年正月、日米修好通商条約の勅許を得るために朝廷の説得に当たった林大学頭は、京都の寺社参詣中にこのような神罰を味わわされた。(「戌午記聞」より)

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